幕末藩政改革者、周布政之助
長州藩の周布政之助(1823-1864)は、山陰地方の一代官にすぎなかったが、尊攘改革派となって藩政の中枢におどり出た。性格は豪放で酒を好み、学問にも造詣が深かったが、多少の奇行癖も伝えられている。高杉晋作が京都で「将軍を斬るから刀を貸してもらいたい」と、政之助のところへ行くと、藩主から拝領の名刀を取り出してきた。毛利の紋があるのでまずいというと、ヤスリを持ってこさせ、ゴシゴシ削ったという。また土佐藩士の前で、酔って山内容堂の悪口をならべ、物議をかもして、それ以後、麻田公輔と改名した。元治元年9月、山口郊外の吉富藤兵衛宅において自刃した。ノイローゼだったという。
« 富沢霊岸の著作目録 | トップページ | バッドエンディング »
「日本史」カテゴリの記事
- 山名宗全没す(1473年)(2023.03.18)
- 柳沢吉里(2023.02.11)
- 朝鮮通信使(2023.05.06)
- 暁に祈る事件(2023.02.04)
- 三木合戦(2023.01.17)
コメント