「草枕」と日露戦争
「草枕」(明治39年9月発表)は夏目漱石(当時39歳)の東洋趣味が横溢した作品として知られる。しかし時代は日露戦争と重なっている。(明治37年~明治38年9月)作品には那美の弟が出征する話がでてくる。いわば戦時にあって、逸民思想を賛美し、忠君愛国を揶揄する箇所も随所にみうけられる。明治41年9月から東京朝日新聞に連載した「三四郎」には、もっと明確に戦争批判した箇所がある。「草枕」に見られる陶淵明、王維などの田園詩の引用は秀逸だが、隠逸思想であり、時局柄、不適当だろう。これらをどのように考えたらいいのだろうか。つまりは明治当局の「一種の大らかさ」とでも考えよう。昭和期と違ってまだのんびりしていた時代だった。たとえば日露戦争のために発せられた99万5696通の召集令状に対して、病気などを理由に応じなかった者が2万3000名もいたという。国家主義と言いながらも、戦争に行かなかった庶民も多くいたのである。しかし特段に罰せられることはなかった。昭和期ほど狂信的ではなかった。平成のネトウヨなど天皇崇拝者もさらに質が悪い。漱石も余裕派と呼ばれ、右翼からは国賊呼ばわりされたであろうが、「草枕」の天然自然の即するところに美が存するという自己の芸術観をさらに高め、後年、この即が則と変わって、漱石の「則天去私」が完成する。
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