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2011年6月 3日 (金)

ああ、戦中派

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  日本で戦中派といえば、第二次大戦という最も困難な時期に青春を送った世代という意味であろう。いまだいたい88歳から上の世代。このような言葉はドイツはじめ諸外国にはあまりないらしい。日本における戦中派の特色としては、「戦争責任という道徳的な問題から触発されて生まれている。戦争中のギリギリの体験が、戦後になるとすべてむなしくむだになことに思える。それまでの鬼畜米英といっていたかと思うと、8月15日以後は一億総懺悔ということになる」(石田英一郎「日本文化論」)このような思いを一様に抱いて戦後を生きてきたといえよう。ドイツ人には、戦中派意識などは微塵もない。戦争に加担したといいだせば、なにが責任だ、戦争に協力するのが国民として当然である、と割り切ることができる。戦争についてはドイツ国民が一枚岩の感情を持つ続けていたという。ところが日本人は複雑である。ドラマ「泣いてたまるか」の一編に「ああ軍歌」という話がある。渥美清が扮するサラリーマンは宴会で軍歌を歌うことを拒否する。彼には戦争体験があるからだ。しかし同僚のなかにも軍隊経験者はいるが、平気で懐かしんで歌っている。日本人の戦争への感情は一枚岩ではなく、それぞれが複雑な思いを持ち続けている。たとえば戦中派といわれる作家や著述家をみてもそのスタンスはさまざまである。松本清張(1909年生れ)、丸山真男(1914年生れ)、司馬遼太郎(1923年生れ)。だが「一億総懺悔」という言葉には抵抗があるであろう。戦争指導者の国民に対する責任を国民にすりかえるだけで終わってしまった。そして天皇陛下にお詫びしなければならない・・・という奇妙な論理までがつくりだされてしまった。いまや戦後派、あるいは戦無派の時代となってしまった。

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