大正人道主義の限界
戦前に植民政策学というのがあった。新渡戸稲造(1862-1933)は台湾、朝鮮を、矢内原忠雄(1893-1961)は南洋諸島などを専門に研究した。新渡戸は日本の武士道精神が西洋のキリスト教精神との共通する部分があるとして、クェーカー教徒の植民主義を参考に、植民が「文化の伝播」であるとして日本の帝国主義を擁護する思想家となった。弟子の矢内原は満州国が建設するようになってこれまでの植民政策が誤りであることに気づくが時すでに遅く、日本軍国主義は次々と中国大陸をも侵略していく。浮田和民(1860-1946)も「倫理的帝国主義」を標榜し、キリスト教的道徳倫理によって帝国主義・膨張主義を肯定している。
関係文献
新渡戸稲造の植民思想 森上優子 人間文化創成科学論叢10 2007年
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