キャロル・ランディス
マリリン・モンローが亡くなって来年で半世紀を迎えるが、ハリウッドにはモンローと同じような人生の軌跡をたどった女優は多い。1940年代の女優キャロル・ランディス(1919-1948)は戦時下であったため日本では全く無名であるが、アメリカでは兵隊たちに人気が高かった。モンローより7つ年上である。ウィスコンシン州フェアチャイルドに生れる。12歳で美人コンテストに参加、15歳の時に作家と駆け落ちする早熟ぶりだったが、たった3週間で別れ、その後も4度の結婚・離婚を繰り返した。地元で店員、ウェイトレス、劇場の案内係をつとめたのち、サンフランシスコに出て、16歳でナイト・クラブの歌手兼フラ・ダンサーとしてデビュー。1937年には「マルクス一番乗り」のエキストラとして映画界入り。1940年に20世紀フォックスと契約、脚線美と明るい性格、ユーモアのセンスが認められて急速に売り出した。「スウェーター・ガール」と呼ばれ、「ピンナップ・ガール」としても知られ、戦時に米軍慰問隊に参加した経験を書いた「Four Jills in a jeep」は1944年に映画化され、自ら主演した。1948年、睡眠薬を飲みすぎで死亡、レックス・ハリスンとの失恋が原因の自殺といわれる。あまりにもモンローに似すぎた人生だった(否、モンローがキャロル・ランディスに似すぎたのだろう)。
「女性」カテゴリの記事
- 龍馬の婚約者「千葉佐那」(2024.10.15)
- 岸壁の母(2022.12.17)
- 宇治原はスカーレット・ヨハンソンを知らなかった(2018.12.01)
- ファニイ・フェイスの時代(2020.04.16)
- 活動的なファーストレディ(2023.07.08)
コメント