一冊の本
「あなたにとって一番大切な本は何ですか?」このような質問に対して、河上肇(1879-1946)ならマルクスの「資本論」と答え、池田亀鑑(1896-1956)なら「源氏物語」と答え、今西錦司(1902-1992)ならダーウィンの「種の起源」と答え、犬養孝なら「万葉集」と答えるだろう。だが一冊に傾倒して偉業をなしとげた「一冊の人」は、昭和までで、現在は少なくなっている。価値観が多様化しているからだろうか。そのような現代においても聖書だけは例外で、一冊の人は多くいる。「聖書全体は神の霊感を受けたものです」(テモテ第二3-16)宗教に関心があるかないかは別として、聖書はあらゆる書物の中で特別なものである。全体を完全に読み通すことは困難なことかもしれない。もし1日に3章から5章を読んでゆけば、聖書全体を1年で読むことができる。
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