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2011年6月14日 (火)

日露関係史

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    1895年、下関条約に対する三国干渉で日本に遼東半島を還付させたロシアは、代償として旅順・大連を租借し、東清鉄道を敷設して、着々と満州へ進出していたが、1900年に義和団の乱が起こると、いよいよ兵力を増強した。日本は、ロシアの南下に同じ脅威を抱く英国と日英同盟を結ぶとともに、内に軍備の増強に努めて、1904年に日露戦争を戦い、翌年のポーツマス条約では、南満州の諸権益を譲渡させたほか樺太南半を割譲させた。戦後は欧州の国際政局の変動もあり、両国は1907年に日露協約を結んで接近し、鮮満蒙の勢力範囲を協定した。大正時代には第一次世界大戦中に日本は大陸で帝国主義政策をすすめ、ロシア革命に際してはシベリア出兵を敢行したが、1925年の日ソ国交回復とともに撤兵した。昭和時代に入ると、日本の政策は軍国主義に傾き、1931年には満州事変を起こして、1933年に国際連盟を脱退したのち、翌年から日華事変を戦って米英との対立を深めると、1941年には日ソ中立条約を結んで南進策に転じた。その結果、太平洋戦争が起こったが、ソ連は米英と1945年にヤルタ協定を結んで突如参戦し、樺太・千島を占領した。戦後のサンフランシスコ講和条約にソ連は調印せず、1956年に日ソ協同宣言が採択されて国交は回復されたが、ロシアとなった現在も南千島を固有の領土と主張する日本との間に北方領土問題がまだ懸案として残っている。

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