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2011年6月23日 (木)

歴史にもしもがあったなら

    歴史に「もしも」は無いと言いますが、後悔はあとでするものです。モーセがカナーンに行って、パレスチナに住まずに、アラビア方面へドバイかカタールの石油産地に行ってたら、子孫は石油長者だったろうに。ナポレオンが戦争嫌いで平和主義者だったら世界中はみなフランス語を話していたかもしれない。もし日本がアジアを侵略せずに、貧しくとも堅実に歩んでいたらどうなったろう。もし原子力発電所を作らずに自然エネルギーで暮していたらどうだろう。地震大国とか台風とか毎年のように襲来するのに、すぐに過去を忘れ、反省しない国民性なのだろうか。「もしも」と問いかけることも無意味ではない気がする。

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