無料ブログはココログ

« 巨人原監督の焦りの采配 | トップページ | 梅娘が来たりて総理が変わる!?  »

2011年6月 6日 (月)

保科正之生誕400年

Photo

  会津初代藩主保科正之(1611-1673)は徳川秀忠の四男。秀忠が正室の江(崇源院)以外の女性に産ませた(お静の方)唯一の子といわれる。信濃国高遠城主として21歳から26歳まで在城し、山形最上に転封し、さらに陸奥会津藩主となる。

   秀忠の死後、家光は正之をことのほか可愛がった。家光は死に臨んで正之を枕元に呼んで徳川家の行く末を頼んだ。これに感銘した正之は会津家訓十五箇条を定めた。幕末の藩主・松平容保はこの遺訓を守り、最後まで薩長軍と戦ったのである。

« 巨人原監督の焦りの采配 | トップページ | 梅娘が来たりて総理が変わる!?  »

日本史」カテゴリの記事

コメント

いま鶴ヶ城では「歴代城主展」が開催されています。9月9日~10月25日は生誕四百年記念「保科正之展」が予定されています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 巨人原監督の焦りの采配 | トップページ | 梅娘が来たりて総理が変わる!?  »

最近のトラックバック

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30