黒田清隆の武士道精神
榎本武揚は、明治元年8月、旗艦「開揚丸」ら8隻の艦隊を率いて品川沖を脱出した。そして途中、苦戦の脱走兵を収容しながら、ついに蝦夷に上陸し、11月ここに「蝦夷共和国」の仮新政府を樹立した。組織は選挙によって定められ、総裁・榎本武揚、副総裁・松平太郎、海軍奉行・荒井郁之助、陸軍奉行・大鳥圭介、同並・土方歳三、箱館奉行・永井玄蕃、開拓奉行・沢太郎左衛門に決定した。
旧幕軍は箱館五稜郭にたてこもり抗戦したが、明治2年5月16日、降伏を余儀なくされる。榎本は自刃しようとしたが、介錯を命じたはずの大塚霍之丞に押しとどめられ、今は余兵の助命を乞うて総督府に降伏謝罪することにした。止めようとした大塚は、このとき榎本の短刀にふれて指三本を負傷している。
五稜郭開城を前にして、箱館征討の参謀の黒田清隆との美談がある。総攻撃を翌日に控えた黒田は榎本に使いを送った。「翌朝、総攻撃をするので降伏するなら申しででください」。榎本は「降伏する気はないので存分に攻めてください」と回答した。このとき榎本は敵の大将に「オランダから持ち帰った大切な本です。戦禍で焼けるのは惜しい。これを日本海軍のために役立ててほしい」と一冊の本を伝令の田島圭蔵に渡した。オルトランの講義録「海律全書」だった。黒田は感動した。黒田は酒樽を贈って榎本の心を和らげ、榎本はついに降伏した。
黒田の手元に残った「海律全書」の翻訳を、黒田は人を介して福沢諭吉に依頼した。福沢は「この海律全書はわが国にとって重要な本だ。正しく訳せるのは講義を聴いた本人以外にいない」と言って翻訳を断わることで榎本の助命を支援した。極刑を望む長州の木戸孝允らに対して、黒田は丸坊主になり、激しく抗議した。そして在獄3年、榎本は明治5年に赦免された。黒田の武士道精神によって、榎本は旧幕臣でありながら、明治政府の数々の顕官に就き、日本の近代化に大きく貢献した。
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