秋月種実と古処山城
大宰府官人大蔵種成の子種雄が鎌倉初期、将軍頼家から秋月の地を拝領した。室町時代は周防大内氏にしたがい、豊後大友氏と争う。1541年種方は大内義隆より幕府番衆に推挙される。1557年、大友義鎮と争って敗死。秋月種実(1545-1596)は島津と結び、1587年、豊臣秀吉の九州攻めに対抗する。秀吉は3月28日、小倉城に入り、肥後へ南下した。4月1日、種実の岩石城を1日で落城させた。種実は大隈城を破却して、本拠の古処山城に移り、籠城しようとした。ところが秀吉は2日後、大隈城の城壁を播磨奉書紙でもって修復したようにみせかけた。3日朝、種実はこれを見て仰天し、名物茶器「楢柴」を献上し秀吉に降伏した。わずか3日にして敗れたことは九州の領主に秀吉軍強しの印象を与えた。
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