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2011年5月20日 (金)

咽喉もと過ぎれば熱さ忘れる

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  大内兵衛の雑文集「1970年」を読んでいる。ケペルは社会主義でもマルキストでもない。60年安保の頃は子供だったし、70年の頃もベトナムや沖縄には無関心だった。だが今ごろになって大内の講演録「安保条約は断じて破棄しよう」というのが気になった。もちろん今でも基地返還や安保破棄を言う人は一部にいるだろう。だが国民的関心は原発や復興にあるだろう。日本人は一端、体制が定まると、大きな変革は望まないらしい。天皇の戦争責任論もかつてはあった。「開戦は閣議が決め、終戦は私が決めた」という昭和天皇のことばがすべてで、人間宣言、象徴天皇が誕生した。そして「一億総ざんげ」という言葉で全国民が責任を背負わされてしまった。おもえば1970年が分岐点だった。70年は安保自動延長の年である。政府は60年安保の争乱があったので相当に気を使った。国民の関心を大阪万博に向けさせるという妙案を考えた。183日の期間中の入場者数は、6421万人。農協や自治会の団体客が多かった。60安保の集会参加者は580万人、70年はわずか77万人だった。政府は作戦はまんまと成功した。今回も「がんばろう、日本!」で大幅な増税が待っている。

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