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2011年5月28日 (土)

栗田艦隊、謎の反転

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   昭和19年10月22日、連合艦隊はボルネオ島のブルネイから出撃を開始した。大和、武蔵、長門、愛宕、妙高、高雄、羽黒、能代、鳥海、摩耶らの第1部隊、それに続いて榛名、金剛、利根、矢矧、熊野、筑摩、鈴谷らの第2部隊がパラワン水道、シブヤン海、サマール沖を抜けてレイテへ。第3部隊の西村艦隊は低速の扶桑、山城がいるので近道のスリガオ海峡へと向かった。囮の小沢機動部隊は、内地からフィリピン北西に移動した。栗田艦隊は23日、パラワン水道で米潜水艦によって重巡を雷撃され、24日には武蔵を撃沈された。25日夜明け前には西村艦隊が米戦艦の砲撃で壊滅された。フィリピン北西では小沢艦隊が米機動部隊の攻撃を受けて壊滅状態だった。25日午後12時30分、ついに栗田艦隊の本隊が殴り込みに向けてレイテへ進撃しようとした。ところが突然、栗田長官は「突入中止!反転・・・北へ変針」と命令した。傍らの幕僚たちが驚き、つかみかからんばかりに「なぜ!」「長官、逃げるのですか!」などと詰め寄った。しかし、栗田は反転命令を取り消さない。栗田は戦後、反転の理由について真相を詳しく述べないまま死んだ。連合艦隊は米軍艦隊をあと一歩というところまで追い詰めながら、レイテ湾を目前に引き返してしまった。スプラーグ少将は、突如引きあげてゆく栗田艦隊に目をやり、神に感謝した。

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