ルソーの死
ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)は1778年5月20日、身体の衰えを感じ、パリから30キロ離れたジラルダン侯爵(1735-1808)の領地エルムノンヴィルに移った。ここで6月初旬、ヴォルテールの訃報を聞いた。そのときルソーは「わたくしの存在はかれに結びつけられていた。かれが死んだ今、わたくしは、かれに続いて早くゆかねばならない」と語ったという。
ここでルソーは楽譜を写すことや植物採集をして過ごした。そして7月2日、午前11時、妻テレーズに見取られながら亡くなった。彼はテレーズに「気をおとさないようにしなさい。見てごらん、空はなんときれいに澄んでいることだろう。わたしはあそこへ行くんだよ」といった。享年67歳だった。
彼の遺体は、この地の湖にあるポプラ島に一端は埋葬されたが、1794年、パリのパンテオンの偉人墓地にヴォルテールと共に埋葬されている。
« 正義の女神テーミス | トップページ | 赤いトラクター »
「世界史」カテゴリの記事
- 李氏朝鮮はなぜ元号がなかったのか?(2023.05.24)
- ハインリヒ5世(2023.05.23)
- 劉裕と陶淵明(2023.05.22)
- ポーランドの英雄ヤン・ソビエスキ、国王に即位する(2023.05.21)
- ゴンブルサ事件(2023.02.18)
コメント