筒美京平と望月浩
日本音楽界で最も多くのヒット曲を作曲したのは古賀政男でも古関裕而でもなく、筒美京平だろう。古賀は4000曲、古関は5000曲といわれるが、実質のヒット曲では筒美の500曲が一番多い。ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」が初のヒット曲だというが、処女作は18歳の望月浩「黄色いレモン」(昭和41年)だがヒットしなかった。当時は筒美は若かったので、あまり大物の曲はなく新人中心に提供していた。望月のデビューは前年で、布施明と同期。39年ごろ味の素提供の「ホイホイミュージックスクール」という素人番組で布施も望月も出演していた。二人は人気があったが、先に売れたのは望月浩だった。青春歌謡ブームで純愛路線で人気がでた。「泣かないで」という映像には太田博之と田代みどりのカップルで曲が流れている。
少し行っては 立ち止まる
胸につかえる おくり道
赤い夕日に 叱られそうな
二人は初恋 まだ高校生
いいね 泣かないで
涙をふいてから
お別れは お別れは
もう一度
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