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2011年5月20日 (金)

多田弥太郎と浅間峠

Photo_2 「生野義挙跡」と刻まれた石碑(朝来市生野町口銀谷)

   八鹿と出石とを結ぶ道のりの一番険しい峠が浅間峠である。今も通る人もなく、ここに勤皇の志士多田弥太郎は静かに眠っている。多田弥太郎(1826-1864)は但馬国出石の漢学者。長崎で高島秋帆に西洋砲術を学ぶ。藩主仙石久利の前で木製の大砲の実演をしている。1863年、生野で志士30人余が蜂起し、弥太郎も加わったが、わずか3日で終わった。藩主久利は弥太郎に理解を示していたものの、護送の途中、捕吏によって浅間峠で斬殺された。享年39歳。久利は怒り、弥太郎殺害者をのちに処分している。多田弥太郎の名は郷土史家の間では知られるものの、「図説・幕末志士199」(学研)には無い。幕末維新期の人物評価は、後世に創り上げられた尺度をもって歴史にとどめられることが多い。

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