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2011年5月10日 (火)

映画・テレビは時代を写す鏡

  近頃、往年の大映作品をよくみる。三隅研次の「とむらい師たち」(1968年)は「おくりびと」(2008年)と同じ納棺夫という職業物であるが、なんと視点が異なることか。「不信のとき」「女の勲章」では田宮二郎と豪華女優陣の共演で大映エロ・グロの一面がよくでている。つまり昭和の「エロ・グロ」に対し、平成は「癒し」がキーワードといえる。時代劇「江~姫たちの戦国」や「新選組血風録」にしても、動乱の時代にしては生ぬるい感じがするがこれも平成カラーであろう。これまで太平洋戦争を扱ったドラマは数しれないが、「おひさま」も平成カラーで随分ゆるく生ぬるい作品に仕上がっている。かつて「鳩子の海」は太平洋戦争を、「おはなはん」や「おしん」でも日露戦争を舞台とした作品でも反戦や国家体制への疑問は少なからず見えたが、そういったイデオロギー色はいまは影を潜めている。むしろ国民こぞって進んで戦争に協力したという設定である。敬礼や日の丸万歳のシーンばかりだ。脚本はじめ制作者たちも戦争体験者が少なくなり、体制追随の現代社会をそのまま時代物にした感じである。先日みた松山善三の「名もなく貧しく美しく」では戦後を生きた障害者夫婦が実直に描かれていた。いまは実直という制作態度がなくなり、視聴者に媚びた、癒し系がうける風潮がある。朝ドラなのですがすがしい気分にしたいという制作意図はわかるが、やはり太平洋戦争の時代色をセットの仕上がりの良さだけで浸ることのできない人間もいる。絵空事のような会話がほんとうに癒しになるのだろうか。他のブログを読むと一般には好評ではあるのだが。大映のエログロが恋しい。

 

 

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