ぼんやりとした不安
先日、ある40代半ばの俳優が首吊り自殺した。仕事も順調で、家庭ではよきパパだった。遺書もなく自殺の理由はわからない。大震災後の社会不安が影響しているのだろうか。もちろん心の内面は誰にもわかない。人はいつかは死ぬ。病気、経済的破綻などの理由で自ら死をえらぶこともあるだろう。ただ比較的恵まれた社会的地位にある人が突然自殺を選ぶ場合、そのタイプには傾向があるように思える。たいてい真面目で潔癖な性格の人である。人にはみな善良な面と、悪徳の面が多かれ少なかれある。善は美徳で多くの人は語るが、悪について語る人は少ない。憎悪、嫉妬、羨望、怠惰、復讐心、吝嗇、虚偽、虚栄などすべて悪徳であるが、この世に執着することの要素になるうる。ひとかけらの悪意も無い人は、この世への執着も少ないのでむしろ要注意である。ただぼんやりとした将来の不安で死をえらぶことがある。将来、50歳になって、60歳になってみて考えたとき、また別の考えもみえてくだろうに。まったく惜しいことである。
「ぼんやりとした不安」といえば、芥川龍之介を思いだす。龍之介は、昭和2年7月24日午前7時、市外瀧野川町田端435の自宅寝室で催眠薬べロナールおよびヂエアール等を多量に服用して苦悶をはじめたのをふみ子夫人が認め、直ちにかかりつけの医師・下島勲を呼び迎え、応急手当を加えたが、その効果なくそのまま他界した。享年36歳。枕元には、聖書を置き、ふみ子夫人、画家小穴隆一、菊池寛、葛巻義敏、叔母、叔父竹内に宛てた遺書および「或旧友へ送る手記」と題した原稿が残されていた。遺書には「人生は死に至る戦いなることを忘るべからず。従って汝らの力を恃むことを忘る勿れ。汝の力を養うのを旨とせよ」と幼いわが子(芥川比呂志・多加志・也寸志)に書きしるした。また「手記」のなかの自殺の理由を示すかと見える「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という表現をめぐっては、さまざまな憶測がなされたが、ともかくも龍之介の死は、大正期個人主義文学の終焉を告げる一事件であった。
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