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2011年4月 3日 (日)

猫の目を通した文明批評

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    街頭で宝塚スターが義援金をよびかける光景を目にした。多くの人がそれに応じて、募金している。とくに若い人の姿がめだつ。毎日200円、400円ばかりの小商いをしている老人には奇異に映る。もちろん批判しようという大それたことではない。長い人生を生きて感じるのは、世の中はゴマカシの連続だということだ。善意のようにみえて、実は裏にカラクリがある。そのカラクリを言い当てることは、仕掛けが複雑なので一言では説明つかない。若い人は純粋でその裏が見えないのだろう。騙すほうも、騙されるほうも、確実にいえるのは、その果てに「死」があるということである。極限を言うと、人類の滅亡、この世の終わりがある、ということである。

    悲観主義、虚無主義、あるいは反知性主義と人は呼ぶだろう。そもそも文明批評とは、世俗の常識や、国家権力や、公的な高い地位などから離れたところにあると考えている。夏目漱石がわずか38歳で帝大教授を辞して、文士になったのは、正解である。自由なくば辛辣な文明批評を書くはできまい。「吾輩は猫である」を書いたのは明治38年。日露戦争たけなわである。「三四郎」にはこんな下りがある。三四郎が「これから日本も段々と発展するでしょう」と言うと、広田先生は「亡びるね」といった。熊本でこんなことを口に出せば国賊扱いにされる。いまのご時世も大和民族の団結など国家主義が盛んになっている。国家やマスコミは信じないほうがよい。国賊になろう。

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