無料ブログはココログ

« 融通無碍 | トップページ | 真説賤ヶ岳七本槍 »

2011年4月20日 (水)

イエスの足をぬぐう女の話

Img_0013 Photo_3

  イエスの物語には女が香油で足をぬぐう話があり、絵画の題材にもなっている。最初は「ナルドの香油」。イエスがベタニアでシモンの家にいたとき、1人の女が非常に高価なナルドの香油を壷ごと割ってイエスの頭に注ぎかけた。そしてイエスの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐった。弟子のユダが憤慨して言った。「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」と言う。実際にその値段は1年分の賃金と同じくらいだという。だがユダがこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であり、金入れを預かっていながら、中身をごまかしていたからである。イエスは「なぜ、この人をこまらせるのだ。わたしによいことをしてくれたのだ」と言う。この行為はイエスがキリスト(油そそがれた者)として祝福されること、あるいは近く来るべき葬送を暗示している。イエスの足をぬぐった女の名はマリアとある(ヨハネによる福音書12-2)実際のイエスの葬送にはマグダラのマリアTが香油を用意したことから2人のマリアはこれまで同一人物、あるいは混同されるが、現在では別人とされている。このエピソードは太宰治の名作「駆込み訴え」にもでてくる。

   もうひとつ別の話がある。イエスがパリサイ人のシモンの家に食事を招かれたときのことである。食事が始まり、突然、罪深い女が香油をイエスの足に塗り、髪の毛と涙で拭った。このときシモンは心の中で思った。「イエスがまことに正しい人ならば、倫理的判断ができるはずだ」と。それは正しい人は罪深き女(おそらく娼婦だろう)を忌み嫌うだろう。しかしイエスは女を受入れた。居合わせた者たちは誰もイエスの行為を理解できなかった。この逸話は、救いを求めてイエスのところに来る人々をイエスは憐れみをもって理解してくださることを示すものである。(ルカ7-36)

« 融通無碍 | トップページ | 真説賤ヶ岳七本槍 »

「キリスト教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 融通無碍 | トップページ | 真説賤ヶ岳七本槍 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31