ジャズを日本に流行らせたジャーナリスト
昭和のはじめバートン・クレーン(1901-1963)という米国の新聞記者が余技として流行歌を吹き込み「酒がのみたい」「家へかえりたい」(昭和6年)という片言の日本語の歌が大流行したことがあります。「酒がのみたい」はアメリカで昔から歌われていたドリンキング・ソングの一種。銀座を歩くとどの街角からも、このレコードが流れていたといわれています。その後も淡谷のり子や川畑文子とレコードを吹き込んでいます。「貴方とならば」(川畑文子&バートン・クレーン)は「サイド・バイ・サイド」です。川畑文子(1916-2007)もアクロバット歌手として話題をまいたものですが数年でアメリカへ帰ってしまいました。でも英語と日本語を混ぜた歌詞は、戦後の江利チエミ、雪村いづみに影響を与えています。
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コメント
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バートン・クレーンの曲は好きで、CDも持っています。作詞は、東宝の重役となる森岩雄です。
川畑文子は、本来はダンサーなので、その雰井気は良いのですがとても下手な歌手です。彼女のLPを中村とうようさんが貸して、吉田日出子が上手く真似したのが『上海バンスキング』の「あなたとならば」です。
川畑らのような二世歌手は、戦後本物のアメリカ人シンガーが来日するようになり存在価値がなくなった。
バートン・クレーンは、戦後も来日し記者として活動したはずです。
投稿: さ | 2011年4月24日 (日) 08時00分
レトロな話が好きです。バートン・クレーンや川畑文子のことはコロンビアのLP「日本歌謡史」で少し知っている程度です。川畑の歌はユーチューブで10曲以上聴くことができます。たどたどしくて下手だけど「街の灯」「嘆きの天使」「上海リル」など日本語歌詞で歌っているので自分も真似して歌っています。
投稿: ケペル | 2011年4月24日 (日) 09時18分