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2011年4月23日 (土)

むかし津軽海峡は陸地だったのか?

Photo_3 ナウマン像はおよそ40万年前に大陸より陸橋を渡って日本列島へやってきて、およそ2万年前までは生息していた

Img_0033 「目でみる日本列島のおいたち」湊正雄監修 築地書店 1978年

Photo_6 2万年前の日本列島(ウィキペディア

  33000年前から地球環境の寒冷化によって海水面が低下していった。2万年前は最終氷期で今よりも大幅に寒かった。日本海は海ではなく、巨大な湖で、対馬海峡は大陸と日本列島は陸橋でつながり、津軽半島と松前半島の間も陸続きであったとするのが30年くらい前までは通説であった。ところが最近の研究では津軽海峡、対馬海峡には海が残り陸続きではなかったとされている。岡村道雄「日本の歴史第1巻 縄文の生活誌」(21p)では次のように記されている。

数十万年前には、日本列島全体の地殻が北に沈み込んでいて、深さ130から140メートルの津軽海峡は、いちども本州とは接続しなかった。より北方の海峡も、数十万年前までは陸地化したことはなかったらしい。つまり、北からの「原人」の渡来は考えにくいのである。

   現在の第四紀の学者は岡村と同様に「現在とあまり水深は変わらない」「日本列島とアジア大陸は完全につながっていなかった」とする考えが有力である。つまり日本人の先祖は舟でやってきたというのである。北海道内で発見されたナウマン像は樺太経由で日本に渡ってきたと考えられる。かつては、マンモス像は中国方面から朝鮮半島を通り、本州を縦断して北海道へ渡ったといわれてきた。そして現在の津軽海峡の海底図をみると、津軽海峡から松前半島にかけて馬の背のような小高い尾根状の地形となっている。ここが2万年前は陸地だったとしたらナウマン象も北海道へ渡ることが可能である。ほんとうに津軽海峡が海のままだったのか、陸地だったのかは専門家でもよくわからないらしい。NHK高校講座日本史で谷口榮は「津軽海峡はいまより狭かったとする説もあります」と慎重なコメントであった。(参考:多田隆治「日本とアジア大陸を結ぶ最終氷期の陸橋」1995)

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