自称天皇・熊沢寛道
熊沢寛道(1889-1966)が代理人吉田長蔵を介して、「北朝系の現天皇は南朝の正系に譲位すべきである」という請願書を、連合軍司令部マッカーサーに提出したのは、昭和20年9月のことである。寛道は熊沢弥三郎の三男として愛知県の小学校を卒業したが、養父熊沢大然から「お前は南朝の子孫だ」と言い聞かされて育った。「熊沢系図」によると、寛道は後醍醐天皇から数えて22代目にあたる。昭和26年に天皇不適格確認訴訟を起こすが、「天皇は裁判権に服しない」として却下されている。政府当局は熊沢を不敬で起訴できなかったが、民間からの反熊沢キャンペーンにより、熊沢は世間から見放されていった。戦後、自称天皇は熊沢のほかにも現れた。愛知県の外村天皇、三浦天皇、新潟県の佐渡天皇、高知県の横倉天皇、岡山県の酒本天皇、鹿児島県の長浜天皇など数人いた。はたして、熊沢がニセモノだったのか、御落胤だったのか、本当のところは誰にも分からない。
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