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2011年4月 6日 (水)

女郎谷

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  彦根城の東およそ2kmのところに女郎谷という所がある。何やら不気味な妖気があたりにただよう。かつて石田三成の居城佐和山城の裏山である。三成は石高19万4000石と、そう高くないが、「五奉行一の実力者」といわれ、佐和山城は威容を誇った。「三成に過ぎたものが2つある。島の左近と佐和山城」と落首されたほどの名城であった。関ヶ原の合戦後、東軍の寄せ手はさぞかし金品があろうと思って入ったところ、どの部屋もみな粗壁・板張のままであった。襖なども反故紙を用いており、城中に財宝らしい金銀は少しもなかった。三成は権力を握っても、決して贅沢な生活はしなかったのである。佐和山城の落城にはこんな悲話が残る。講和がまとまると油断していた城兵側は、突如、襲撃され城内は大混乱をなし、石田正継ら一族全員は自害し、佐和山城はあえなく落城した。城中にいた2000人の婦女子は女郎谷という崖から身投げをして自決したという。敵方の兵に陵辱されるよりも死を選んだのだろう。落城の日、この谷の方角から女たちの断末魔の悲鳴が遠くまで聞こえてきたといわれる。

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