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2011年4月 7日 (木)

胡坐が何故いけないのか?

 高崎山自然動物園で、赤ちゃんに「シャーロット」と命名したところ、抗議が殺到したという。日本での反応は「やはり王室に失礼」という意見があるが、中国でのネットでの意見では同じ名前をつけたことへの批判よりも、「英国王室から抗議がきたの?自分で悩みの種を探している」「シャーロットという名の人は多い。王女でなければ世界中のシャーロットさんに対してはどうでもいいのか」「階級意識が根深いということ」などの書き込みがみられる。つまり皇帝を否定した中国と天皇を維持しつつげる日本との皇室意識の差が明らかにみえる。不敬罪という規定は法律上は無くなったが、現在も論法として、不敬である、といえば罷り通るのが日本である。「胡坐が何故いけないのか?」という記事は炎上した記事である。天皇が被災地を見舞ったとき、避難者が胡坐をしていたのが非礼、という記事がでた。避難者はネパールの留学生で、天皇は胡坐でもよい、宮内庁も問題視しなかったが、週刊誌や世論が避難者に対して非礼と攻撃したことに関して感想を書いた。

    天皇・皇后両陛下が東京都以外の避難所を訪れ、被災者らを見舞うという。これに関連して、週刊新潮には「両陛下のお見舞いに胡坐で応じた避難者に誰か礼儀を」という記事がある。見出しをみただけで本文を読んだわけではないが、記者は避難者は陛下に頭を下げて、臣下の礼をとれ、というのであろうか。両陛下や皇太子ご夫婦の慰問の様子をみると、たいがい小さな子供や弱々しい老人に声をかけられることが多くて、壮年男子はさけておられるようにみえる。新聞記事も「話をかけけていただき、本当に気持ちがほぐれました」というワン・パターンな内容がおおい。そして写真で心配する皇族の慰問姿が大きく写しだされ、まるで皇室の存在をアピールするために演出に利用されているだけのような気がする。避難者の現在の居所はそのござの数畳の上であり、天皇陛下が突然その場に訪れて、ゴロ寝のままであったり、胡坐をかいていることがそんなに悪いことなのであろうか。マスコミが避難者を非国民とか不遜な態度と非難する権利があるのだろうか。古代ギリシアの哲学者ディオゲネスはアレクサンドロス大王が訪れたとき、「わきへのいて下さい。日がかげるから」と言ったと伝えられる。この有名なエピソードはディオゲネスが高慢無礼な者だというのではなく、権力におもねらない個人の自由を大切にした偉人であることを示す故事である。日本にはかつて大名が行列したとき土下座をして向かえるという習わしがあった。そしていまは国歌・国旗に関する法律が新たに定められたが天皇陛下の権威にたいして臣従の姿勢をとらなければいけないものであろうか。これは強制すべきものではなくて個人の自由意思を尊重すべきものである。つかれた人なら寝たままでもいいし、胡坐のままでもよいと思う。週刊誌の記者は神社の前を通るとき敬礼をし、毎朝起きたとき宮城に向かって敬礼をしている人とは思えない。国民に礼儀を教えるといいながら当人も不十分なものなのである。天皇陛下への礼儀をどこまでとるかということを真剣に議論すれば、かえって天皇存在そのものの論議にいたることになってしまうであろう。

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

天皇は日本国の象徴である。日本国憲法に記載してある。憲法は法律の法律である。平和の象徴は鳩を連想する。日本国を連想すれば、天皇を連想する。憲法の精神は、国民に理解されなければならない。天皇の権威は、日本国憲法を理解しているかどうかである。その為に、5月3日は憲法記念日であり、祝日である。国民はゴールデンウイークで浮かれずこの日を、真摯と受け止めるべきである。

コメントをいただきありがとうございます。また真摯なお考えには敬服いたします。しかしながら私の理解しているところとは大分に違います。憲法成立の世界的歴史をみても、憲法とは国家が国民に保障する基本的人権を規定することが中心になっています。つまり国民が象徴天皇の前で屁をしたり、胡坐をかいたりしても不敬ではなく、憲法違反とはいえないと考えます。また神格化された天皇の御稜威(みいつ)は人間宣言したときに喪失したと考えています。

天皇であると同時に
遙か高齢の人生の先輩が
膝をついて 見舞っているのに

若い、五体満足な人間が
胡坐をかいて偉そうなのが

非常に醜いんだよね。

おっしゃることはよくわかります。かくいう私などももしも天皇陛下が近くに膝まづいてこられたら畏れおおくて、頭もあげられないくらい感激すると思います。映像などで第三者的にみると、マスクをはずせよ、とか頭が高いとか、胡坐すんなねとか言いたくなるのはわかりますが、イエスや釈迦が現れても不遜な人はいるもので、天皇陛下のご威光に傷がつくほど脆弱なものではないでしょう。周囲が正座を強制するなどをしてあまり騒がないほうが、陛下や皇室のためだと考えます。

初めまして、感じるとこがありコメントさせて頂きます。
先生なんですか?
自由に意見するのは良いですが、見方が斜めで極端ですね。

腰を降ろし膝をついて話されている天皇陛下に、胡坐をかいたままでの対応は考えられません。もの凄く失礼だし非常識だと思います。
当日、報道の映像を見て唖然としました。

確かに当事者にとって天皇陛下の存在の大小はあるでしょう。 そこは理解できます。
これって、天皇、皇室、権威とか関係無いと思います・・・膝をついてお見舞いの言葉を掛けてくれた年長者に対して胡坐はありえない、ということです。

たくさんの方からコメントいただき感謝しております。わたしは映像は見ていませんが、一般論でとらえています。避難されて休んでおられる人のところにこられたわけですが、必ずしもその人にとっては来訪がありがたいかどうかわかりませんし、年上だからといって、無理に姿勢をかえるかどうかも、それはその人の自由と思います。劇場型社会ではこのような現象があって、批判が殺到するケースもあるかもしれませんが、大衆のクレームが正しいとは決して思いません。もちろん胡坐をしているかたをほめることもしていませんよ。寝たままの場合もあるし、気が動転して十分な敬意を表する姿勢には映像的にみえないかもしれませんが、それは全く問題ないことです。

「礼儀を知らんから、こんな目に遭うんだ。」少なくとも、この映像を見てそう思った日本人は百万単位にのぼる筈。憲法の規定上で胡坐が正しいか正しくないかなんて問題ではない。これで義援金の額やボランティア希望者の数が激減するのは確実。東北の被災者に計り知れない不利益をこの人たちが与えたのは、否定仕様の無い事実でしょ。

ディオゲネスの故事について誤解があるようだから、ついでに教えてあげます。「この有名なエピソードはディオゲネスが高慢無礼な者だというのではなく、権力におもねらない個人の自由を大切にした偉人であることを示す故事である。」というのは全くの間違い。これなら別に相手は征服王でなくても構わないはず。これは自身もアリストテレス流の形而上学を修めたアレクサンドロスがアテネの自由な学風にいかに寛容であったかということを示す逸話です。「予は、アレクサンドロスでなくば、ディオゲネスでありたい」とアレクサンドロスが述べているのはディオゲネスに代表されるアテネの学問全般をを高く評価していることの表れです。でも問題の東北の方は、別に哲学的思想に耽って胡坐をかいていたのではないと思います。ただ無礼ゆえに樽から出なかったのなら、アレクサンドロスは即座に相手を処刑していたでしょう。

はじめてましてケペルさん、あまりにも非常識なコメント不愉快です。あの無礼な振る舞いにたいして同情するような屁理屈をつけ解説せれていますが、どこかの日教組とかの先生ですか?

私は天皇への礼拝は国家や国民が強要すべきものではなく、個人の自発からでるものだと考えています。

買って読んでから言ってください。
それだけです。
妄想で正論をかたらないでください。

おっしゃるとおりですね。週刊誌まだ読んでいません。映像もみていません。でも集団ヒステリーとも思える過剰な反応が気になります。

集団ヒステリーって、それこそ三流マスコミの造語の受け売りでしょ。仮にエリザベス2世が同じ扱いを受けたら、英国民はどうするでしょう?あなたが、1925年以前に日本国籍を持っていたものの純粋な子孫かどうかは知らんが(多分そうじゃないのだろうけれど)、我々日本人だって、国家や国旗に対する思い入れもプライドもある。ヒステリーでなく冷静に考えても、ネットで顔写真、いわき市の誰々と氏名まで出てしまっては、多分この震災で職を無くしたであろう胡坐男たちを雇用する雇い主はいないだろうし、いわき市民や福島県民が白眼視されるのを避け得る手段はもう無い、と言わざるを得ないでしょう。

新潮の記事を読んで「胡坐は非礼か」との疑問から、たまたま通りすがりにこちらをのぞきました。
私の感覚ではケペル先生の印象に近いでしょうか。

もっとも自分ならば、相手が皇族かどうかは別として、年配者であるなら姿勢を正し起立して対応したかな、とは思います。ただし、その場に居合わせた訳ではないので細部の状況はわかりません。

しかし、これは避難所でのハナシです。園遊会ではありません。胡坐で対応した人たちは、おそらく財産や職を失い、さらには家族まで亡くしてしまった可能性が高いと考えるなら、無理もないかなと思ってしまいます。

おそらく陛下はそんなことみじんも気にせずに、むしろ心の余裕が無さそうな避難民のことを心配しておられたのではないかと思います。

また、ヒステリックな反応を見るにつけ、新潮のこの手の記事は一種のホメ殺しのようなもので、結果的に皇室の印象を悪くするのではないかとも危惧します。

確かに憲法には、陛下に対して礼儀正しくせよなんて書いてないよ。陛下に限らず、人間として互いに礼儀を重んじることが、ここ日本では当たり前のことだからさ。だから陛下は、御見舞いに行かれたのだし、被災者の目線まで膝を屈して話しかけられたんだ。当たり前すぎることは「最低限の道徳」たる法律には書かれない。「年老いた親を大切にしろ」って書いてないのと同じこと。「自分が生んだ子供を大事にしろ」とも書いてない。「憲法に書いてないから、自国の元首に対して無礼な態度をとっても構わない」と言う貴方のような輩が、老父母を養老院に捨て、自分の子供を打ち捨て、粗末に扱うという今日の風土の源になっている。確かに憲法には書いてないからな。貴方の言う「胡坐でも自由」というやつだ。日本はそんな国じゃないし、日本人はとりわけ礼儀を重んじる世界一の文明人だ。英語や仏語に敬語は無いだろう?
「倉廩満ちて礼節を知る」という言葉があるが、あれは隣の国の話。日本人は、どんなに窮した時でも礼節を忘れた事は無かった。現に、両陛下の訪問を受けた時、疲労困憊した体を横たえていた老婦人が居住まいを正して応対している姿があった。それもその人の自由だと言うなら、言ってるあんたは日本人の範疇から外れてる。

週刊新潮4月14日号に「両陛下『お見舞い』に胡坐で応じた避難者に誰か礼儀を」との見出しの記事があり,「男性の被災者で何人かが,両陛下を前に胡坐をかいて言葉を交わしていたのです。いずれも比較的若年層の人々でしたが,陛下が膝を折ってお話になっているにもかかわらず,そのままの姿勢でした」と述べられています。

天皇皇后両陛下は日頃から側近に対し,身体の不自由な人,あるいは何等かの事情により正座のしづらい人には決して無理をさせないようにとおっしゃっています。

また,ここに掲載されている写真の一つの人は,日本で勉学中のネパール人であったと聞いています。避難中というつらい状況下,また外国人の習慣の違い等を考えれば,両陛下も無理して正座をしなくてはいけないとはお考えにならないのではないかと思料します。


これは、宮内庁の公式見解です。あぐらがどうのこうの、陛下は、この大事に於いて、そんな小さなことのこだわる方ではありません。
 短絡的に批判する人々に聞きたい、あなた方は、陛下のお気持ちをいくらかでも、おもんばかったことがあるのか。
 人を中傷するよりも、陛下の大きな優しい心に感謝するコメントをするべきだと思いますけどね。

天皇は別に神格化する必要はないですが、皆それぞれ日本の為、命がけで行動する「挙国一致」の精神を持っていれば、日本は素晴らしい国になる。

日本の為敷いては、あほ管ではなく天皇の為との精神的バックボーンがあってもいいではないか?
その事が過去の忌まわしい歴史を繰り返すとの意見もありますが、いま必要なのは平和ボケを正す事です。これは、日本は思想の自由が保障されていますので、人それぞれの考えはあります。

小さい頃から、天皇陛下は偉い人であると親から聞かされ自分が同じ被災者であるならば、やはり胡坐はかかないでしょ。たとえ天皇陛下でなくても、尊敬する人、世話になった人等に対しても。

胡坐をかいた人たちは、親からどのような教育を受けたのでしょうか?親は子供に「父ちゃんは、天ちゃんより偉いんだ」とでも言ったのでしょうか?

日本人の道徳観念は次第に薄れて行くのでしょうか?
天皇制復活を希望する次第です。
天皇陛下万歳!と叫んで死んでいった特攻隊は
男の美学でしょうか?

腹が立ったから、もう少し書く。週刊新潮にしても、ここで、あぐらを批判する人にしても、陛下のお気持ちを、もう少し考えたらどうだ。一見、陛下に対する敬意を持っているようにしながら、その実、他の人を批判する。その口実に陛下を使っている。悲しい。こんな日本人がいるなんて。陛下は、ご高齢で、ご病気なんだ。その陛下が、毎日、国民の苦しみを分かち合おうとして、ブレーカーを落とし、無理をして被災地までお越しになったんだ。そのお気持ちの少しでもふれて、何かを感じることができたなら、あぐらがどうのこうのなんて、ましてや、再就職がどうのこうのなんて、いってられるか。一番腹がったったのは、「多分この震災で職を無くしたであろう胡坐男たちを雇用する雇い主はいないだろうし、いわき市民や福島県民が白眼視されるのを避け得る手段はもう無い、と言わざるを得ないでしょう。」というコメント。そういうことを、陛下が御望みになっているとでも思っているのか。陛下のことについてコメントするには、あまりにも、軽率な内容であり、表現といわざるを得ない。陛下がお悲しみになる。

なるほど、最新のコメント読んで理解できた気がする。あぐらを批判する人々が大事にしているのは、天皇制であって、天皇陛下ご自身ではないのかもしれない。それが今の愛国者なのだろうか。私は、どうしても、天皇制がどうのこうの、とかよりも陛下がどうお思いになり、どうお感じなるかが大切だと思っていたし、天皇制を論じるのは、まずそこからだと思っていた。もちろん、今でもそう思っているし、これからもそう思っているのだが、この頃の愛国者は、そうではない方々も多いのか。

小難しい屁理屈を言わなくて結構。
どんな状況でも天皇陛下に会えるんだったら
天皇陛下が正座されるのなら 国民も正すのが常識

だったら、週刊新潮のあざけるような記事は、常識なのかよ。

小難しい屁理屈を言わなくて結構。
どんな状況でも天皇陛下に会えるんだったら
天皇陛下が正座されるのなら 国民も正すのが常識

何という言いぐさだ。陛下が気にしなくていいとおっしゃっているのに、それを無視するような言動が、平気にでる。これが今の日本なのだろうか。これが、愛国者なのだろうか。

人を見る目があるなら、天皇陛下、皇后様を知らなくても、その神々しさから自然と頭が下がるものです。菅総理や芸能人と同じ程度にしか見ることができない、理解できない人達なので致し方ない事なのかもしれないが、これが今の日本なのだと思うと情けない。
個人的には、お付きの者が「無礼者めっ!!」と言って、手打ちにしても良いと思いますが・・・

前半は同意します。でも、陛下がそれでいいとおっしゃるから、それでいいではないですか。
後半は、どうでしょうか、陛下はそんなことはお思いにはならないでしょう。

人のブログなので、之で最後にします。でも、これだけは言っておきたい。天皇陛下が、わざわざ被災地まで行ってのはなぜか。国民(被災地のひとだけはない)を励まし、少しでも明るく希望を持った生活を送ってもらいたいと、お思いになったからではないか。それにお応えするための行動とは何か。あぐらをかいた人がいた、礼儀をしらない人がいた、そういうレベルのものか。そりゃ、失礼だなとは思う。でも、そういうことを、天下の公器である週刊誌を使ってごじゃごじゃ言うのが、日本のためなのか。陛下の御意志にそうものなのか、それがいいたいのだ。そしたら、小難しい屁理屈だって、全然難しくない。陛下のお思いを少しは感じるべきだと言っているのに、それが小難しい屁理屈だって。悲しいよね。そういっている人々、     もういいや。

こういうことだそうです

週刊誌でも陛下の批判をしないのに、ネットで一番胡坐が何故いけないのか?
は辞めるべきだ。

 へぇ、このコメントの中で、天皇の批判をしたコメントがあるのかねぇ。

 でもって、週刊誌てのもそんなにえらいもんなのかねぇ。

当今陛下の遠い先祖で有らせられる藤原光明子は、疫病の流行に際して御救い小屋を建て、自ら病人の介護に当たられた。後醍醐天皇は飢饉に飢え苦しむ民を哀れみ、食を断ったと伝えられている。(但し、この御方は北朝の子孫である当今とは何の血縁関係もない)当今陛下もまた、災害に打ちのめされている臣民の苦衷を見かねて御出ましになっただけなのだ。その民が陛下に対してどのような態度を取ろうとも、御気になさるわけがない。問題をすり替えるにも程がある。陛下がどう思し召されようとも、傍から見ていて、醜いものは醜い。憲法がどうしったて?天皇の前で屁をこく権利が有るだって?あんたは馬鹿か?福島県の奴等には1円の義援金だってやるもんか。

これから東北地方は、道州制し福島の固有名詞を排除!

何か勘違いして、「無理をして被災地までお越しになったんだ」とか「天皇陛下が、わざわざ被災地まで行ってのはなぜか」とか、あたかも陛下が東北くんだりまで行かれたと思い込んでるウッカリ者がいるようだけど、不正確な情報しか持ってないやつに議論に参加する資格はないよ。前提が違ったんじゃ話の筋道が立たんでしょう。あんな王化に祀ろわぬ朝敵の土地に日本国元首たる陛下がうかうか行けるかい。(それでも陛下は、被災地行きを希望されているそうな。もったいないことである。)

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、天皇の前で屁をこくって発想があるみたいだぜ。

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、当今って、呼び捨てだぜ。、

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、天皇の前、って呼び捨てだぜ。

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、後醍醐天皇には、敬語なしだぜ。やっぱ、南朝だからか。

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、遠い先祖や血縁関係のない人を持ち出して、ピントがおかしくない会、

あ、そうか。ネトウヨなんだ。

ネトウヨ、万歳

おいおい、すげえな。⇒バカ丸出しのアホ
多数の日本人は、相手に礼儀正しく敬意を払う
但し、ごく少数のアホには目をつぶりましょう

先生、右すぎます。

ごめん、左過ぎます。

宮内庁から公式発表が。

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h23-0408.html

「天皇皇后両陛下は日頃から側近に対し,身体の不自由な人,あるいは何等かの事情により正座のしづらい人には決して無理をさせないようにとおっしゃっています。」

陛下はなんとお優しい。
こういう仰りようをされるから陛下は国民から広く敬愛を集めてるわけですね。
新潮や被災者を悪し様に言っていた人は恥じ入るべきだと思います。

ロジェさん、ありがとうございます。宮内庁のホームページを見ました。両陛下の細かい心づかいと優しいお人柄を垣間見た気がします。これまで非礼があったことをお詫びします。

国を愛するが為に、陛下の御前で胡坐をかくのが許せないとの事です。今の政権では国民は、この先日本はどうなるのか不安です。昔から政局が不安になれば、尊王思想が出て政権が交代する。これと同じではないか?

いっそ「暴れん坊天皇」になって、この混濁しまっくった日本国を改革してください。曰く

「菅フヌケノ守、仙谷売国将軍、その他無能官僚ども。朕の顔を見忘れたか?」

「なにぃ~朕じゃと?・・・・おおぉ!これは陛下!」

「朕の可愛い臣民に対する悪政の数々!許せぬ!前任の悪奉行:小泉共々成敗してくれるわ!」

「ええい。象徴ごときが何を申すか!構わぬ、これは陛下の偽者じゃ。切れ、切れ、切捨てい!」

「成敗!」

ドス、ブシャ、ザシュ。(菅臣ども、忍者に成敗される)

これで日本は復興できる。

陛下は、被災者の耐え難い苦悩を、御自分のことのように感じて、また、形式的にせよ御自身が任命されたドアホ政府が無為無策のまま被災者を放置していることに責任を御感じになって、それ故御心を痛められて、病身をおして御見舞いに来られたのだ。そんな陛下に被災者がどのような態度を取ろうとも、陛下御自身が気になさる訳が無い。当たり前だ。問題は、そんなことではない。陛下は、私人ではない。1億2000万人を代表する国家元首である限り、それにふさわしい立場がある。陛下がお優しい方であると言うことは国民の殆どが承知している。しかし、天皇である以上、私人としての行動は有り得ない。英国王に対して向けられた無礼は、英国民全員に向けられた侮辱である。中国人がよくやる他国の国旗を焼くと言う行為は、なにも単なる意匠に過ぎない旗に加えられた侮辱ではない。その旗の下に集う国民全てに対する侮辱である。陛下個人に向けられた無礼は、日本国民すべてに対する無礼である。したがって、それを無礼と判断するか否かは、国民個々の判断による。天皇制反対論者や本気で共産主義が良いと考えている人々は、胡坐だろうが、寝そべっていようが、屁をこきながら応対しようが構わんだろう。ただ、パラドキシカルだが、そのような立場に者でも、日本国民である以上は、陛下への無礼を介して自分自身もまた侮辱されていると言うことだ。天皇とは古来そういう存在なのだ。
陛下個人がいかにお優しく寛容であらせられようとも、そんな事は問題ではない。国家国民に向けられた侮辱に心ある国民は対処するだけだ。それに大体、両陛下は被災地に行かれてねえよ。東京に避難してきた福島県民を慰問されただけ。新聞ぐらいしっかり読んでから書き込みしろよ。

皇室の歴史は、天皇の威を借る政治家どもに翻弄されてきた。人間宣言以降、裕仁天皇は国民一人一人を大切にされ、直に国民の苦しみを分かち合いたい、我々には到底真似ができない仁徳の高いお方である。うちのばあちゃんは、和室に昭和天皇の写真を飾り、毎日拝んでいた。天皇とはこのように神聖犯すべからずの存在である。よって陛下のお気持ちとかを考えるのは、失礼にあたる。それでは陛下と同じ立場で物事を考えることになる。

なるほど。貴人に対する応対一つとっても色んな意見があるもんだ。ネパールやフクシマは礼儀知らずだってのはよく判った。

で、どうするの?福島県産農作物、福島県産海産物の不買運動でもやるか?
わざわざそんなことしなくったって、そんな放射能まみれの食い物、あと2万4000年は絶対に誰も買わねえよ。

おいおい、すげえな。この頃の右翼は、陛下個人がいかにお優しく寛容であらせられようとも、そんな事は問題ではない、てよ。陛下の御意志を無視だって。

あ、そうか。陛下のお気持ちとかを考えるのは、失礼にあたる。それでは陛下と同じ立場で物事を考えることになる。から、自分の独断で判断する訳ね。おいおい、すげえな。この頃の右翼は。
 ちょっと工夫してみました。
 

おいおい、おれもおそかったけど、すごい表現があるぞ。これって、ちょっと大変じゃいないか。おれも築かなかったのは、恥だけどさぁ。お願いだから、指摘する前に、(というか、指摘するのも、問題だぜ)削除か、訂正してくれないかなぁ。これは、本当にマジだ。この表現がこのブログに乗り続けると、これ以上に炎上するぞ。本人わかってくれよ。

間違いは、漢字だ。

4月10日の投稿だ。

4月10日の投稿だ。

ごめん、誤字だらけで それだけ、すごかったので。本当にすみませんね。

でも、これだけいわせて、もうちょっと、皇室や陛下に気をつけて、文章を書けばよかっだよ。日頃気にしていれば

おいおい、おれも情けないけど、これは指摘するぞ。「人間宣言以降、裕仁天皇は国民一人一人を大切にされ、直に国民の苦しみを分かち合いたい、我々には到底真似ができない仁徳の高いお方である。」これ、だいじょうぶか。文章としても情けないが、戦前、昭和天皇陛下がどうお考えになったか、問題にならないのか。おい。天皇陛下が、戦前と戦後で、御考えが変わったのか。かわっらとしても、、、いや、これ以上は、詮索だから、、、 おいおい… それと矛盾する表現なかったか。  というより、これ、、、、  表現は、ていねいなんだけど。、、、、、    。

ケペル以外は、どいつもこいつもバカじゃねえのか?誤字脱字は平気だし。「おいおい」野郎に至っては言ってることが小卒レベルじゃん。陛下は3月14日に京都に御環幸されたよ。死の灰が降りまくってる東京なんかに居られるかい。TVに映ってたのは影武者だよ。前立腺癌骨転移の顔色じゃなかったでしょう、あの御方は。

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