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2011年4月 1日 (金)

史記と漢書

  日本で史記に関する本と漢書に関する本の出版点数を比較したら圧倒的に史記が多い。項羽と劉邦との争乱、始皇帝、戦国の故事など史記には中国史の面白さが満載である。一方の漢書は西漢一代の断代史であり、膨大な列伝があるが、なじみが少ない。ところが実際に東洋史の研究家が漢代史を論文を書く際には、史書としての利用価値は漢書のほうが高い。これを説明すのは煩雑なので省くが、史記・漢書の優劣論はだいぶん古くから論じられていて、古代においては圧倒的に漢書が優位にある。史記は章帝の時代に楊終のために削除されている。東漢時代には130巻のうち10巻が欠落している。史記がいつごろ日本に伝来したかで、日本書紀に引用されているので6世紀ころだという説があるが怪しい。130巻のうち、「景帝紀」「武帝紀」など10巻が欠落していても、全編は大部であり、「千字文」をようやく読める程度の漢籍舶来事情で、当時の日本人が全編をスラスラ読んでいたとは考えにくい。書紀に引用したのは、類書による孫引きであろう。史記が中国の歴代正史の模範とされ、24史の筆頭に位置づけられたのは、文化・学術が隆盛した唐代に入ってからであろう。つまり日本に史記が伝来したのは8世紀前後と考えている。

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