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永倉新八(1839-1915)は松前藩士、長倉勘次の次男として江戸に生まれる。代々、松前侯の江戸屋敷勤務であったから、新八は江戸育ちである。近藤勇が、「真剣で立合ったら別だろうが、道場の稽古では、とても永倉君に歯が立たぬ」といったほどの剣の腕前に優れていた。短命に終わった隊士が多いなか、新八は、その後、戊辰戦争、西南戦争を生き抜き、名を杉村義衛と改め、北海道樺戸集治監で剣術師範をしていた。その後は上京して牛込で剣術道場を開いたというが、晩年は小樽で隠居する。「小樽新聞」に自伝として記事「永倉新八」が連載され、その記事を読んだ近藤勇の娘音羽も新八のもとを訪ねている。大正4年1月5日病死。
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