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2011年4月 9日 (土)

南北戦争終わる

    1861年4月、南部軍のサムター要塞に対する攻撃をもって南北戦争の火ぶたが切られた。経済力の点では北部は圧倒的に優勢だったが、南部にはリーのような有能な将軍がいて、戦争の前半は南部に有利に展開した。しかし1863年7月1~3日ゲティスバーク会戦で北軍は勝利した。そのころすでにミシシッピー川は全域にわたって北軍に制圧され、シャーマン将軍はアトランタからジョージア州の海岸部に向かって徹底的な破壊作戦を行ない、さらにカロライナへ北上した。一方、引き続く激戦の背後では、南北ともに慎重な外交戦略を展開していた。南部連合にとってはヨーロッパ、とくにイギリスに南部独立を承認させることに、連邦にとってはそれを阻止することが、外交の優先課題だった。1862年9月、イギリスが南部承認の気配をみせると、9月22日、リンカーンは軍総司令部の権限で1863年1月1日を期し占領地域の奴隷を解放する「奴隷解放予備宣言」を発した。リンカーンのこの卓越した政治行動によって、イギリスその他のヨーロッパ諸国の南部承認は中止となった。1865年4月9日、グラント将軍に追われたリー将軍とその軍隊は、バージニア州アポマトックスで降伏、南北戦争はここに事実上終了した。リンカーンがフォード劇場で暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースに撃たれたのは4月14日である。リンカーンの死は殉教としてとらえられ、「キリストは人間を尊いものとするために死に、リンカーンは人間を自由にするために死んだ」、あるいは「イエス・キリストは世界のために死に、エイブラハム・リンカーンはかれの国のために死んだ」という言葉が語られ、リンカーンはアメリカ最高の偉人として伝説化されていった。

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