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2011年4月25日 (月)

縄文土器と弥生土器

Photo 勝坂式縄文土器

    朝日新聞しつもん!ドラえもん「田んぼで米づくりがはじまった弥生時代。どうして弥生とよばれるようになったのかな」答えは、「この時代の土器がでた地名から」もちろん知っていた。ではなぜ「縄文は大森ではないのか?」と考える。ふつう考古学では初めて遺物が出土した地名を命名されることが多い。オーリニャック、グラヴェット、マドレーヌ、ソリュートレ、タルドノワ、ムスティエなどみなフランスの地名である。「弥生」は東京都文京区にある弥生町。縄文土器の発見者はエドワード・モース(1838-1925)である。彼は発見から2年後の1879年に刊行した本の中で「cord marked pottery」としている。1886年に白井光太郎(1863-1932)が「縄紋土器」とし、1888年に神田孝平が「縄文土器」とした。しかし坪井正五郎(1863-1913)は「貝塚土器」と名称を使い、「貝塚土器」のほうが一般的であった。浜田耕作(1881-1938)が「縄紋土器」を使った。今日では、「弥生土器」と対比するため「縄文土器」「縄文文化」という語が用いられる。

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