3年間眠り続けた、ただの怠け者と思われていた村の若者が、村の災害のとき活躍し、それまで荒れ地だった土地を田畑に変えて、村を再生させるという民話がある。いま復旧したばかりのローカル線、磐越西線を通って、ガソリン・灯油を積んだ石油貨物列車が新潟・郡山を運行している。ANAやJALが臨時便の増発で超過密ダイヤとなった山形・福島空港。一時は無駄の象徴と言われた山形空港が被災地への唯一のアクセス手段になって三年寝太郎をアピールしている。廃港が取り沙汰されている大阪・伊丹空港は救援物資の活動拠点として西日本の基地となっている。事業仕分け、見直しという事業評価の難しさを示す好例であろう。
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