宮刑について
古代中国には生殖器を切るという宮刑があり、死刑につぐ重刑であった。男性には陰茎・睾丸双方を切除する場合と、睾丸のみ切除する場合があった。実際の執行例は記録で見る限り少ないが、漢の歴史家、司馬遷が李陵を弁護したために、前98年、宮刑に処せられている。日本では「羅切(らせつ)」という。広辞苑には「陰茎を切り除く」とある。寺内大吉の「奇僧悪僧列伝」によれば、法然の弟子、安楽房遵西は後鳥羽上皇の愛妾・松虫と関係を持ったため、上皇の怒りにふれて、羅切の刑に処せられたとある。遵西の女犯事件は「名月記」「愚管抄」にもあるが、陰茎を切断されたことは見えない。「皇帝紀抄」に羅切の記述がある。
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