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大石順教尼(1888-1968)。本名は大石米子。14歳のとき、大阪堀江で芸妓となるが、18歳のとき堀江遊郭事件が起こった。米子は両手を切られて、高安病院で治療を受け、命はとりとめた。明治45年、挿し絵画家、山口草平(1882-1961)と結婚。一男一女の母となるが、昭和2年に離婚。昭和8年、高野山で得度を受け、口に筆をくわえて絵を描いた。著書「無手の法悦」
高安病院
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