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2011年3月22日 (火)

宮崎三昧と宮崎一雨

    宮崎三昧(1859-1919、みやざきさんまい)は、安政6年8月1日、江戸下谷御徒町の儒者の家に生まれた。本名、宮崎璋蔵(みやざきしょうぞう)、別号は三昧道人。漢学を芳野金陵の塾に修め、茗渓学校を経て東京師範学校を卒業した。しばらく教鞭をとった後、明治13年「東京日日新聞」に入社。明治35年まで新聞各紙の文芸欄の執筆や、歴史小説家として名を知られる。代表作「塙団右衛門」(明治26年、春陽堂)は明治小説中の秀作である。明治30年代、冨山房の「袖珍名著文庫」に携わり「春花五大力」「狂歌萬載集才蔵集」「仮名手本忠臣蔵」「日本新永代蔵」「松浦佐用姫石魂禄」「落語選」「太平記忠臣講釈」などを校訂している。明治39年に腸チフスがもとで、両足が不自由となった三昧は、次第に文壇から遠ざかり、大正になって「賞奇楼叢書」で古典の翻刻に尽力した。大正4年刊行された井原西鶴「椀久一世の物語」は唯一の伝本が関東大震災で焼失したため、貴重な文献となっている。大正8年3月22日、腎臓病で死去。享年61歳。

    大正期の少年小説界において活躍した宮崎一雨(みやざきいちう)は、明治19年(あるいは明治22年)7月6日、東京府日暮里村に宮崎三昧の一人息子として生まれる。本名は宮崎侃。東京外国語学校韓語学科卒業後、「東京日日新聞」「中央新聞」「飛行少年」の記者となる。「古今名詩通俗史談」(大正元年)「英雄の快挙」(大正2年)「熱血団」(大正5年)「絶壁魔城」(大正6年)「怪力義人」(大正7年)「興国か亡国か」(大正13年)「空中征服」(大正14年)「世界征服」(大正14年)「日米未来戦」など冒険小説が多い。一時代を画くした人気作家である。ちなみに「熱血小説」という名称は一雨の命名であると言われている。消息不明により没年はわからない。

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