国際社会111年
2011年は日本人にとって忘れられない年になるだろう。地震、津波、原発事故の三重苦。そして円高、増税、社会不安が待ち構えている。世界中の関心も高い。とくにアジアでは原発導入を予定している東南アジア各国に驚きと不安を持って受け止められている。また日本経済が危機的な状況となり、世界経済に悪影響を及ぼすという不安が海外に広がっている。
このような日本が国際社会の一員として認められたのは1900年のある出来事からである。義和団事件である。「♪ときは1900年、55日の北京」と克美しげるが「北京の55日」で歌っていた。8ヵ国の列強が清朝の都北京に3万3844人の兵員を派兵した。その中、日本は最大の約2万2000人だった。中国に進出したアジアの小国日本は大量の兵を送りこんで、国際社会のデビューをした。思えば帝国主義国家への道を歩みはじめることでもあった。あれから111年がたち、日本は科学技術の先進国となり、ノーベル賞を受賞するなど国際社会で名誉ある地位を築き、原発を44基を保有しているが、今回の事故で原発安全神話はもろくも崩れた。
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