秦漢帝国における武器(鉄)輸出の規制措置について
製鉄技術の進歩は中国戦国時代に鉄製の農具などの普及がよく知られ、アジア周辺諸国へも次第に広まっていった。しかし秦漢の高度な製鉄技術は匈奴など抗戦国に知れ渡ることは国家の存亡を意味する。考古学上の研究も進み、冶金技術と製鉄技術を区別した考え方もみられる。秦漢時代、武器・鉄などの管理はどのように行われたのであろうか。
レファレンス協同データベースにも同様の質問がみえる。「漢の武帝の時代に鉄(武器)の輸出を禁止していたと聞いた。どのような文献があるか」これの回答は協同データーベースを閲覧していただくとして、不思議に思うのは、武器輸出などの禁止をしていたのは漢武帝時代からであろうか。おそらく武帝時代以前も「馬・弩・関」と同様に武器・鉄は門外不出ではないだろうか。桓寛の「塩鉄論」の専売制度の存廃をめぐる官民の論争が引用される。鉄官は前116年から全国46ヵ所に設置されたものであるが、影山剛によると、鉄官の主要生産物は農具であり、当時最も需要の高い鉄器であったから、専売制にして破綻した国家財政の建て直しには効果があったものである。私鋳は厳禁され違反者は処罰された。鋼鉄製の武器等は元来国家が大量に必要とするものであるから、専売制以前から工官などの官営作業場で製造されており、国庫収入の増加をもたらす品目ではなく、武帝以前の秦始皇帝の時代も鉄製の武器などの国外輸出は厳禁されたのは当然のことと考えられる。史書によれば匈奴の和平によって前82年に武器輸出の規制も廃止されたという。しかしレファレンス協同データーベースの質問である、漢武帝において初めて鉄(武器)の輸出が禁じられたという疑問には、いささか首をかしげざるをえない。(参考:影山剛「漢の武帝」)
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