随心院の梅
京都山科にある随心院の梅が見ごろである。だが随心院は梅だけではない。深草少将が小野小町に言い寄って百夜通いのすえに亡くなった伝説を残す随心院、小野小町居宅跡がある。深草から随心院の山科まで一里の距離がある。草深い山道を歩いて行ったのだろう。
平安時代の歌人・小野小町は生没地など史実が不明なところが多いが、早くから美人として伝えられ、死後、諸説が生まれている。中世の説話集にもその物語がみられるが、謡曲には「草紙洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒塔婆小町」等の小町物といわれるものがある。これらは恋の歌人として讃えるもの、深草少将の百夜通いを題材とするもの、西行が深草少将の墓で歌を詠ずると、髑髏が返歌したが、西行の供養で往生するという話、年老いて乞食となった小野小町の話、などに大別される。いま毎年、ミス小野小町コンテストがある。
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