学問の専門化と民衆化
自分が以前に書いた論文がどのように読まれるかは気になるところである。しかしすべての文献に目が通せるわけではないので、連絡がない限り一生涯知らぬままということもあるだろう。ところがネット時代になり検索機能も向上すると、名前などから該当の論文がヒットすることもある。さらに学術論文はPDFで閲覧できる。以前の「図書館学の創成期における毛利宮彦氏の事績について」という小稿を新藤透という若手の先生が論稿「昭和初期刊行の図書館学専門書にみられる選書論について」(山形県立米沢女子短期大学紀要45号 2010年)で小生の論文を取り上げ、論評してくれている。在野の老学徒としては感謝、感謝。また大学紀要の内容がネットで瞬時に読めるとはありがたい。新藤透は気鋭の近世史専攻の史家か。つまり大学の研究者も一般の研究者もネットを通じて、研究動向が共有できるいうことである。学問は象牙の塔の大学にのみ存するものではなく、一市井、あるは自然界に存する、といえる。
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