ディズレーリとグラッドストン
保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンは共にすぐれた政治家であることを除いてはきわめて異なっていたが、この2人の闘争の間にイギリス社会の民主化は漸次進んでいった。1832年の選挙法改正はイギリスの民主化の上に画期的なものであったが、それはまだ普通選挙からはかなり遠いものであった。しかし1867年、1884年の両度にわたって第2回、第3回の選挙法改正が行われてその内容は次第に普通選挙に近いものとなっていった。グラッドストンは小英国主義をとって植民地の拡大に反対し、アイルランド問題では小作人を保護する土地法案を成立させたが、1868年アイルランド問題でつまづいて辞職した。保守党のディズレーリに政権を譲って2大政党による典型的な議会政治となった。
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