別れても好きな人
国木田独歩が若き日、佐々城信子(1878-1949)と恋愛し、結婚、離婚したことは、その後の独歩の作家人生に大きな陰影を与えたことは言うまでもない。独歩の小品「鎌倉夫人」(明治35年)に登場する愛子という名の鎌倉夫人が佐々城信子であることも明らかである。「六年前、僕の妻であった女」とあり、「船中で船員と怪しい仲になった」とある。有名な有島武郎の「或る女」でも早月葉子がアメリカへ行く船で事務長と恋に陥ちる件がある。つまり国木田はこのような信子の噂を耳にしたことは事実であろうし、これに関する不快感も事実であろう。この「鎌倉夫人」には、かなり独歩が感情にまかせて書いてしまったという感じがつよい小説である。作品としてはあまり出来の良いものではないが、独歩の当時の心理状況を知るうえでは貴重な資料といえる。小説のことが本当だとすれば、独歩と信子は離婚後、2度ほど会ったことになる。(明治32年と明治35年)。
「私はもはや一生独身ときめているのですよ」「けれども、愛子さん!独身でも何でもいいから早く生涯の目的をきめて真面目な生活を送るようになさらんと、しまいにはほんとうに死んでも足りないほどのあさましいことになりますよ」と書いている。独歩は本当に信子の行く末が心配でならなかったのだろう。
独歩の二番目の妻が国木田治子(1879-1962)。女優の国木田アコは孫か。最近、欧米では村上春樹が独歩の末裔だという珍説があるらしい。佐々城信子と別れた独歩が失意で京都の寺で滞在していたときに、寺の娘との間に生まれたのが村上春樹の祖父というのだが、にわかに信じられない話である。
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