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2011年2月11日 (金)

牝犬

Img_0028 「牝犬」この写真は宣伝用のスチールか。ドレスからはみ出た女の足が映画でも何度もクローズアップする。

    大映映画「牝犬」(1951)の評価はさほど高いものではないかもしれない。初見したが、これぞ「ファム・ファタール」の決定版という感じである。保険会社に勤務する真面目な経理部長の堀江(志村喬)は、ある日、部下が会社の金を使いこみしたため、浅草のレビュー劇場へと足を運んだ。そこで知り合った踊子エミー(京マチ子)の妖艶な肉体に魅せられ深い関係におちる。とうとう家庭を捨てて、二人で港町にキャバレーを開く・・・・。大阪市役所出身の志村と日劇の花形ダンサー京マチ子はまさに適役。戦後風俗もデカダンな香りに満ちている。若い女体に溺れゆく志村の姿はドイツ映画「嘆きの天使」(1931)のエミール・ヤニングスに重なる。そして京マチ子の豊満な肉体はデートリッヒをも凌ぐ魅力がある。「嘆きの天使」の二番煎じで低評価は否めないが、平成の世からみると、戦後アプレの虚無感はホンマもんである。監督の木村恵吾は「痴人の愛」など粘着力ある演出で知られる。中年の男が美しい女性のため人生を破滅するという題材はこれまで数多い。ルーツはおそらく19世紀末、女性美を崇拝してラファエル前派の芸術家たちが、女性美の虜となって破滅することは男の宿命ともいうべきものという美学が流行したものであろう。ドイツのハインリッヒ・マンや大正期の谷崎潤一郎らの耽美的な作品に影響を与えた。アメリカでも「牝犬」と同年にローレンス・オリビエとジェニファー・ジョーンズの「黄昏」があるが、オリビエの貴族性とジェニファーの善良性のため悲劇的な色彩が薄い。男の哀れさ愚かさを志村喬がよく演じている。これが翌年の「生きる」(1952)の傑作につながることは言うまでもない。

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