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2011年2月15日 (火)

皇太子教育掛候補はポルノ収集家?

Kanoubust

   狩野亨吉(1863-1942)は東京帝国大学数学科・哲学科を卒業し、明治31年、一高校長、明治39年、42歳にして京都大学文科大学長に就任して民間から幸田露伴、内藤湖南を招き独特の学風を作ったが、2年にして辞し、再び公職に就くことはなかった。昭和17年に78歳にして亡くなったが、その頃は忘れられた思想家という感があった。思想家として江戸時代の自然科学思想に関心を持ち、とくに安藤昌益を紹介したことは高く評価されている。天皇裕仁の皇太子時代に山県有朋らから、東宮御学問所の御用掛として杉浦重剛に先だって推薦されたが、唯物論者たるのゆえをもって、断わっている。多くの若い学者たちは隠者の風のある狩野を尊敬していた。夏目漱石の「吾輩は猫である」に出る苦沙弥のモデルともいわれる。だが安倍能成は次のことを記している。「先生が終生独身生活を遂げられたのは、周知の事実であって、その為に先生を崇敬する者もあるが、この故を以て先生を性欲を超越した枯木寒巌の如き人物と思ふのは甚しい誤解である。先生は人一倍人間の性欲現象に関心を持ち、先生の倫理学に於いて人間の性欲的エネルギーは重大な位置を占めて居ると聞いて居る。ただ恐らく先生は性欲的交渉を生きた異性と重ねる煩累を嫌われたものと想像される。しかしこれはあくまでも私の想像である」(狩野亨吉遺文集年譜附記より)

   狩野の死後、遺品、蔵書の中から多数の浮世絵、春画、芸妓などの資料が蔵書10万冊の中から出てきた。生涯独身であった彼が学術的資料収集のためであるのか、性的好奇心であるのはわからないが、現代風にいえばオタクのポルノグラフィー・コレクションである。岩波書店員時代の小林勇も、狩野家に出入りしているうちに、遺品を整理することになり、狩野の手になる大量の性的創作画文を発見し、取り扱いに困惑したという(「隠者の焔」)。生前一冊の本を出版することがなかった狩野であるが、いつの日が狩野亨吉画文集の刊行されることが望まれれる。

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