長崎の明治洋館
16世紀以降、長崎は日本唯一の貿易地として南蛮貿易とキリシタン文化がさかえた。1859年に幕末開港したが、天然の良港を有しながら輸出産業に乏しく、後背地をもたないためにその後の横浜、神戸などに発展を奪われ衰微するに至った。
幕末に造成された長崎の外人居留地は、出島と入江を埋めたてた大浦地区に商館が建ち、そのうしろの丘、東山手と南山手が住宅地になっていた。当時の遺構が多いのは南山手地区で、大浦天主堂(1864年創建)、グラバー邸(1863年)、リンガー邸(1868年)、オランダ屋敷二十五番館(1889年、明治村移築)がある。明治中頃までには、推定790棟の洋館が存在していたが、その多くが解体されて、わずかな洋館が往時の異国情緒の名残りをとどめている。
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