まぼろしのテグス行商船
いまはナイロン製のテグスが普及しているが、むかしは中国産の天然テグスを用いていた。この梱包用に使っていたテグスを一本釣りの釣り糸に用いることを思いついたのは阿波鳴門の堂浦の漁師たちだった。「日本の海をひらいたのはまったく無名の人々であったということに気づいた」と宮本常一は書いている。
江戸時代なかごろから、堂浦のテグス商人は一本釣りの技法を教えながら、瀬戸内海中にテグスを売り渡った。釣り糸のほか、釣針、重りなど釣具一切を売った。その寄港地はほとんど瀬戸内全域にわたっていた。そのコースを一つ紹介しよう。堂浦→引田→庵治→高松→直島→宇野→岡山。たいていは夫婦2人が乗り込む。昭和16年には堂浦にはテグス商人が23軒あって、それぞれ寄港地も違い、常得意も別々であった。瀬戸内だけにしか見られなかったテグス行商人も、昭和46年には姿を消した。
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