種子島の若狭姫伝説
1543年、ポルトガルの難破船が種子島に漂着して日本に火縄銃を伝えた。新たな武器は瞬く間に全国の武将の間に普及し、戦闘方法に革新を起こした。これを促進したのが伝統的な刀剣技術の蓄積で、刀鍛治の手を通して火縄銃の国産化が行われた。
種子島には若狭姫伝説が伝わる。国産の火縄銃を作るたる刀鍛治の八板金兵衛は取り組むが、当時は日本にはネジの技術がなかったので製作にいきづまった。金兵衛がポルトガル人に教えを乞うと、娘の若狭を嫁に出すことが交換条件となる。親子は悩むが、若狭は藩のためならとそれに応じて、ポルトガル人と結婚する。このとき若狭は16歳で、欧米人と日本人女性との初めての国際結婚だった。こうして、国産の鉄砲は完成した。翌年、若狭はポルトガル人と帰国したが、急病で亡くなったとも、偽ってそれからもポルトガルに帰らず日本にいつづけたともいわれる。
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