和田垣吐雲
明治・大正に活躍した東京帝国大学の経済学者、和田垣謙三(1860-1919)は一風変わった名物教授だった。講義は女優のゴシップや和歌英訳などのむだ話をしているうちに終わってしまい、経済学の経の字も出なかった。試験も「テキレッツのパーについて解釈せよ」などと出題する有様だった。毎晩本郷の縄のれんを軒並みハシゴして歩く。酒ばかり飲んで肴は一切とらない。4軒目が終わると、バーへ行き、女給を相手に拳をする。こうして借金が増えて、明治30年ごろには、月給まで差し押さえられていたという。それでも家庭生活は困らなかったという。というのも、当時は大学教授といえばどの商店でも3ヵ月は黙って品物を届けてくれた。和田垣家は3ヵ月ごとに注文する店を変え、どの店にも借金ができ、届けてくれる店がなくなると引越したらしい。
だが和田垣は、井上十吉、神田乃武とともに明治の三大英学者といわれるほどの語学力をもち、とりわけ英文学に優れていた。イギリス、ドイツと留学し、日本人最初の経済学教官である。もっとも著書は参考書や概説書が主で、「兎糞録」「吐雲録」などの軽妙な随筆がよく読まれていた。(参考:三島憲之「和田垣謙三と明治・大正期の経済学界」東北公益文科大学総合研究所論集21)
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