津軽のケネディ・田澤吉郎
太宰治(1909-1948)は生誕100周年を過ぎたが、いまだブームは衰えない。生前太宰を知る人も一人また一人と亡くなっていく。女優の高峰秀子は昨年末に亡くなった。「津軽のケネディ」といわれた衆議院議員の田澤吉郎も2001年に亡くなっているが、太宰を知る一人であった。田澤は「津軽」に「陽子の婿」として登場する。「津軽」は戦時中に書かれた小説とも紀行文ともいえるものだが、フィクションはあるものの、実在の人物が詳しく描かれている。陽子というのは太宰の兄・津島文治(1898-1973)の長女で、弘前の地主の息子・田澤吉郎と結婚した。太宰が生家の金木に帰ったとき、陽子とその夫・田澤もいたらしい。田澤は26歳の青年で、早稲田大学を卒業し、都会的な経験もあったので、おそらく太宰とは話があったのであろう。初対面ながら太宰に好印象を与えたようである。後年、弘前大学の森田喜郎が田澤に太宰の印象を聞くと、「たいへん控え目で、感じのよいものだった」と語っている。(参考:森田喜郎「太宰治「津軽」に描かれた「陽子の婿」 いずみ通信 1999年4月)
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太宰治さんが金木に帰ったとき、陽子と婿さんの田澤吉郎さんもいたらしい、と書いていますね。
「いたらしい」とは何でしょう。『津軽』には、詳しく婿さんのことを書いているではありませんか。
この作品、お読みではないのですか。
投稿: 島田誠 | 2012年10月24日 (水) 10時41分