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2011年2月 8日 (火)

有害無益な○○賞は本当に必要なのか?

   「斎藤佑樹にはオーラがある」という。「オーラ」とは「人や物が発する霊気ないし独特な雰囲気。アウラ」と広辞苑にある。たしかに人の価値や実力はなかなか目には見えないものなので、オーラが見える人は、実は自分が鋭敏な感性を持っているという自己陶酔にすぎないのではないか。私は人物を評するのにオーラなどというあいまいなものは信じない。むしろ斎藤がシーズンに入ってプロの洗礼を受けることを想像する。英雄待望論というのが世にはあるらしい。芥川賞の作品の宣伝文句には「本物出現」とある。わざわざ「本物」と拘るところが作家的実力が見未知数なのを物語っているようにみえる。直木賞はかなりの実力者から選考しているので安定している。しかし赤川次郎は候補にはなったが、直木賞は受賞することはできなかった。受賞しなかった作家がものを書き続けていくというのも面白い。国民栄誉賞も現存の人に与えるのは感心しない。とくにスポーツ選手はまだ若い。生きていれば将来どのような汚名をこうむることがあるかわからない。国民の不名誉になることもあるだろう。歌舞伎などで、生まれた家柄ゆえに、小さいときから「オレは将来は人間国宝だ」といって育つことも本人にとっては可哀そうなことである。その他の名誉市民賞も、春秋の叙勲も、いかなる世俗の栄誉も感心しない。賞、冠、ブランド志向はカッコわるいと思いたい。

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