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2011年2月16日 (水)

漱石は、サビシーい!

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    夏目漱石の生い立ちは、まるで親に捨てられたような幼年時代であった。それでもぐれずに漢籍と英語を学んだ。留学したロンドンでは、下宿屋で泣いて過ごしたという。

     いまインターネットで「漱石」、「淋しい」と入力すると、実に多くの文章がでてくる。漱石全集の総索引を調べても「淋しい」「淋しさ」「淋しみ」などの使用例が多い。俳句にも「淋しいな妻ありてこそ冬籠」がある。有名なところでは小説「心」の「先生」は、自ら「私は淋しい人間です」と言い、青年の「私」にも「ことによると貴方も淋しい人間ぢゃないですか」と問いかけている。「私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代わりに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わなくてはならないでしょう」が名言として知られている。「彼岸過迄」では須永市蔵が「もう怖い事も不安な事もありません。其代り何だか急に心細くなりました。淋しいです。世の中にたった一人立っている様な気がしています」(松本の話)とある。また大正3年の学習院輔仁会での講演会「私の個人主義」で、「個人主義の淋しさ」を述べている。当時、三宅雪嶺の国家主義と漱石の個人主義が対立していた。朝日新聞の文芸欄の担当責任者として悩ましい問題を抱えていた。(参考:小田島本有「彼岸過迄と池辺三山」釧路工業高等専門学校紀要33、1999年)

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