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2011年2月22日 (火)

明治の女学生

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     「女学生」。この言葉は明治初年頃に生まれた。わが国で女学校の最初は、明治3年創立の横浜のフェリス女学院である。明治5年に学制が公布され、明治8年にはお茶の水女子大の前身である東京女子師範学校が開校している。明治32年、高等女学校令によって高等女学校の設置が制度化されると、女学生の数は1万人を超えるようになった。矢絣の着物にエビ茶の袴、そして編上げ靴という和洋折衷が女学生スタイルの典型であった。女学生の髪形は束髪であるが、種類がいろいろあり、夜会巻、揚げ巻、行方不明、カチューシャ、マーガレット、二百三高地、さざえの壷焼きというさまざまな流行の髪形のあった。

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女性」カテゴリの記事

コメント

旧い作品ですが、大和和紀の劇画「はいからさんが通る」は、上の絵のようなシーンが冒頭です。

少女マンガと打ち捨ててしまえばそれまでですが、時代背景、世相、当時の風俗、ものの考え方、よく調べて織り込んであると思います。高度成長期生まれの自分は、大正時代の雰囲気をこの作品でなんとなく把握できました。

いつもコメントをありがとうございます。「♪薄紫の藤棚の下で歌ったアベマリア」という安達明の「女学生」を口ずさんでいます。卒業シーズン、最近はなぜか袴姿の女学生をよく見かけるようになりましたね。

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