百合子と寿恵子
戦後の日本共産党の指導者であった宮本顕治(1908-2007)は、明治41年、山口県光井村(現在の光市)の肥料米穀商の長男として生まれた。旧制徳山中学校から松山高等学校へ進んだ。東京大学在学中から新進の左翼活動家として脚光を浴びた。昭和6年秋、女流作家の中條百合子(1899-1951)と知り合い、翌年2月には本郷動坂に新居を構える。昭和26年1月21日、百合子が急死したのちは、百合子の秘書であった大森寿恵子(1920-2010)と再婚する。平成19年7月18日に宮本顕治が亡くなり、平成22年1月4日、妻の寿恵子も後を追うように亡くなる。昭和左翼の閨房も歴史となった。新聞の訃報記事は小さな扱いであるが、大森寿恵子は「極光のかげに」の著書で知られた高杉一郎の義妹(妻の妹)にあたる。
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宮本顕治・百合子さんのお宅は駒込林町(旧称)だったと思います。私は40年位前に近くに住んでいましたが、宮本宅の路地を出た所に交番が有りましたね(現在ナイ)。見張っているんだヨと近所の人は噂してました。
近くには高村光太郎の住居もあった様です。
投稿: ウ~さん | 2011年1月21日 (金) 16時13分